石原さとみさんとの熱愛で、話題になった前田裕二さん。
SHOWROOMという会社の代表取締役で若手実業家なんです。
1987年生まれですでに会社を持っているなんて、すごいやり手ですよね!
石原さとみさんが好きになるのも分かります!
そんな前田裕二さんは、無国籍という情報がありました。
一体、どういうことなんでしょうか?
今回はそんな前田裕二さんの壮絶な生い立ちや、お兄さんについても見ていきましょう。
前田裕二は帰化して日本人に?無国籍の理由は何?
前田裕二さんは、帰化して日本人になりました。
帰化とは、たまに耳にする言葉ですが、「自分から申し出て、違う国の国籍を取得すること」です。
サッカー選手や野球選手、力士などが帰化したというニュースを見かけますよね。
つまり、出身の国の国籍を抜けて、日本人として認めてもらうということです。
前田裕二さんが帰化したのは21歳の時。
それまでは、無国籍でした。
日本国籍を取得するのにも、とても苦労したようです。
日本で生まれて日本で育ったのに、無国籍になってしまうことがあるなんて、私も初めて知りました。
日本では戸籍の制度があり、生まれてくる子供を役所に届け出ることで戸籍を発行してもらいます。
なんらかの事情で、生まれても戸籍を発行してもらえずそのまま成長することで戸籍がなく、無国籍の状態になってしまうのです。
一番多いパターンは、前の配偶者と離婚した後に、新たなパートナーとの間に子供ができた場合のようです。
民法の772条2項に、「法的離婚後300日以内に生まれた子どもは前夫の子と推定される」と規定されており、300日以内に生まれてしまった場合、その子は前夫の子どもとして出生届を出さなければいけないんです。
これに納得がいかず、出生届を出さないために子供が無国籍者になってしまうというパターンが多いみたいですね。
ただ、現在はお医者さんによる妊娠時期の証明があれば、前夫の子どもではないとして出生届が出せるという特例も認められるようになっているそうです。
あとは経済的、環境的状況のせいで、親が出生届を出せなかった場合などもあるようですね。
戸籍がなければ、保険証も発行されないので病院にもかかれず、学校にも行けません。
身分を証明する事ができないので、就職や結婚も難しくなります。
実は、日本には戸籍が無い人が1万人以上もいるとされています。
驚きませんか?これだけ豊かな日本で、普通の生活が困難な人はとても多いんです。
前田裕二さんの場合はどういった事情だったのかはわかりませんが、無事に戸籍を取得できたみたいで何よりです。
前田裕二の壮絶な生い立ち!兄の存在が支えに
前田裕二さんは、若くして実業家として安定しているので、お金持ちの息子なのかと思いきや、無国籍であったり、帰化で苦労したりと壮絶な人生を送ってきました。
幼い頃から、母親と兄との3人家族で父親はいなかったようです。
理由は分かりませんが、母子家庭でした。
そして母親も、前田裕二さんが8歳の時に亡くなってしまいました。
それからは親戚の家に行ったこともあったようですが、そのうちに兄と前田裕二さんの2人で生活するようになりました。
前田裕二さんの兄は10歳以上年が離れているということで、母親が亡くなった時点で18歳くらいだと思います。
それくらいだったら、なんとか生活に必要なことはできたのかもしれませんが、小さい弟の面倒を見ながらの日々は大変だったでしょうね。
兄は前田裕二さんのことをいつも考えてくれて、優しくしてくれたと発言していました。
前田裕二さんが、警察沙汰になった時にも、兄に迷惑をかけてしまい反省したそうです。
今では、兄にとても感謝しているようです。
前田裕二の兄の現在は?
前田裕二さんの兄は、現在は結婚してお子さんもいます。
子供の頃の経験から、自分は家族との時間を大切にしたいと、忙しくても家庭での時間を優先しているそうです。
本当に立派なお兄さんですよね。
苦労してきた分、幸せになって欲しいと思います。
ということで今回は前田裕二さんについて見てきました。
壮絶な生い立ちを知りびっくりしました。
今まで、色々と苦労してきたと思いますが、仕事や恋愛で現在は充実した日々を送っているのではないでしょうか。
石原さとみさんとの結婚も噂されていますが、素敵な家庭を築いてほしいですね。
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